
●1974
第5回世界歌謡祭入賞曲「木曽は山の中」で脚光を浴びる。
●1980
ファーストアルバム「寡黙」をリリースし、本格派ヴォーカリスト登場と高い評価を集め「哀しみのオーシャン」がヒット。
●1983
「ボヘミアン」が大ヒットし、アルバム「RUNNER」と共にゴールドディスクを獲得。
●1986
日本人女性ロックヴォーカリストとして初の中国公演を開催し3万人の観客を動員。
●1990
大阪開催の「花と緑の博覧会」にて自らのコンサートを自主開催。
●1991
通算20作めのアルバム「YUKI KATSURAGI」をリリース。
●1992
日中国交正常化20周年を記念し、2度めの中国公演を開催し3万5千人の観客を動員。
●1993
中国人民対外友好協会からの招聘を受け、青島人民会堂で開催の「日本歌星迎春大型演唱会」出演。
●1995
新しい音楽性を見いだすべく「どじ・・・ 」をリリースし、第28回日本作詩大賞にノミネート。
●1996
通算21作めのアルバム「葛城ユキ〜魂を追いかけて〜」をリリース。松竹映画〜必殺!主水死す〜の主題歌「哀しみは花びらにの
せて」をリリースし話題を集める。
●1997
4度めの中国公演を7月に開催。青島公演の公開リハーサルでは2万人、翌日の本番では5万人の観客を前に熱演し客席を大いに沸かす。この模様は本番当日青島電視台で生中継されたほか、翌々日に中央電視台を通じ中国全土に向けテレビで紹介される。
また北京公演にはこのテレビ放送を観た観客が約1500名収容のホールを一杯にした。青島公演で大々的に評価を受けた中国語曲「愛的奉献」は、北京でも中国人が歌ったオリジナルを超える出来映えと支持を集める。
一方8月は首都ウランバートル郊外の大草原で日本人ロックシンガー初のモンゴル公演を実施。日本とモンゴル共同開催による初
のマラソン大会のパーティーでのライヴであったが、マラソン参加者以外に付近のゲル(円形テント)からも移動民族が多数詰めかけ大いに盛り上げ国際交流に貢献。
●1998
井上大輔氏をプロデューサーに迎え新作「悪女(作詞:秋元康、作編曲:井上大輔)」を制作。久々に葛城ユキのシャウトが冴えるパワーソングで、9月より全国的にプロモーションに突入。
11月佐賀国際バルーンフェスタ・フィナーレライヴに初出演。
●1999
新作「悪女」を掲げ、佐賀県佐賀市をホームとするSPIRITSがサポートのもと九州ツアーを敢行し「悪女」を強くアピール。
●2000
サンスポ野球大会テーマソングの「輝くために」を新作としてリリース。昨年に続きSPIRITSがサポートのもと九州ライヴツアー2000を開催し輝くためにをアピール。不景気に沈むご時世に閃光を投じる前向きな歌詞が多くの支持を集める。
●2001
埼玉県八潮市八潮メセナ、東京厚生年金会館大ホール、愛知勤労会館大ホール、大阪厚生年金会館大ホールでYUKI
KATSURAGI, NEW WORLD CONCERT TOUR 2001を開催。
通算24作めのニューアルバム「暗くなるまで待てない」をリリース。ニューアルバムを引っさげ、SPIRITSと共に3年めを数えるYUKI
KATSURAGI with SPIRITS LIVE TOUR 2001を九州内6会場と沖縄で開催。
秋、YUKI KATSURAGI, NEW WORLD CONCERT TOUR 2001の公演を熊谷会館と山梨県民文化ホールでも開催。
11月、東京ブルースアレイジャパンを皮切りに、大阪ビッグキャット、名古屋ボトムライン、立川AAカンパニーでニューアルバム「暗くなるまで待てない」発売記念YUKI
KATSURAGI, CLUB TOUR 2001を開催。
●2002
3月東京ブルースアレイジャパンを皮切りに「YUKI KATSURAGI, Club Circuit 2002」をスタート。5月名古屋&東京、
7月東京、10月東京、11月名古屋&東京でそれぞれ開催。
8月中国黒龍江省大慶市の黒龍江省野外体育場で開催の、黒龍江省第10回体育大会及び国際石油博覧会開幕式に中国・台湾・韓国の歌手らに混じり唯一日本人歌手として出演し7度めの中国公演。ボヘミアン・ヒーロー・愛的奉献(中国語曲)・輝くためにの4曲を熱唱し3万人を超える観客の絶大な支持を受ける。
2000年に発売のベストアルバムをベースに「輝くために」「暗くなるまで待てない」を加え、25作めのアルバムとしてベストアルバム「葛城ユキBEST
SELECT」をキングより発売。
●2003
1月東京ブルースアレイジャパンを皮切りに「YUKI KATSURAGI, Club Circuit 2003」をスタート。2月佐賀ガイルス、3月モーフ東京、4月三重県合歓の郷、5月東京ブルースアレイジャパン&名古屋ボトムライン、7月東京ブルースアレイジャパン、9月東京グラフティで順次開催。11月20日名古屋ボトムラインと26日東京ブルースアレイジャパンでの公演は、10月2日に葛城ユキが負った番組収録中の怪我により中止。以後休業し治療に専念。
●2004
驚異の回復力により、お台場Studio DREAM MAKERにて5月10日復帰イベントを開催。復帰を祈り続けた500名のファンと約100名の報道陣を集め、約60分のライヴと復帰会見を開催。
入院治療中の気持ちを自らが形にした初自作曲「Pride〜for you」を、復帰第1弾シングルとして再出発に相応しく自らの誕生日である5月25日に発売。
6/10ブルースアレイジャパン(東京)を皮切りに定期ライヴを再開・・・6/26ガイルス(佐賀)、6/28久留米ガイルス(福岡)、7/01ボトムライン(名古屋)、7/26倉敷チボリ公園(岡山)、9/06ブルースアレイジャパン(東京)、11/26ブルースアレイジャパン(東京)、11/29ボトムライン(名古屋)など。また2003年10月以降キャンセルを余儀なくされた出演の振替公演も順次開催。
恩師である故大津あきら氏の未発表遺作品「MANHATTAN MEMORIES」を、12月1日復帰第2弾シングルとして発売。
●2005
3/14ブルースアレイジャパン(東京)を皮切りに2005年ライヴツアー(Aim at Perfect Recover)をスタート。4/23バーガイルス(佐賀)、4/24久留米ガイルス(久留米)、4/25スローハンド(熊本)でSPIRITSとのライヴツアーを行った後、5/25ブルースアレイジャパン(東京)、6/19ザーザーズー代々木(東京)、7/03名古屋市中村文化小劇場、7/29ブルースアレイジャパン(東京)、9/26ブルースアレイジャパン(東京)、11/25ブルースアレイジャパン(東京)、11/28ボトムライン(名古屋)で順次開催。
●2006
3/16ブルースアレイジャパン(東京)を皮切りに2006年ライヴツアー(Singer Song Fighter)をスタート。5/25ブルースアレイジャパン(東京)、7/02名古屋市中村文化小劇場、7/14バー・ガイルス(佐賀)、7/16レストランバー・クルー(大川)、7/17スローハンド(熊本)、7/19ガイルス(久留米)、7/31ブルースアレイジャパン(東京)、9/16ビートステイション(福岡)、9/18ティンパンアレイ(長崎)、9/25ブルースアレイジャパン(東京)、11/20ボトムライン(名古屋)、11/28ブルースアレイジャパン(東京)で順次開催。